愛と毒とたまに平和

詩にして吐き出します

引用 謙虚さと傲慢さ

 

傲慢さの対極にあるのが謙虚さです。
でも、気をつけてください。
多くの人が恐れをカモフラージュしているだけなのに、自分を謙虚だと考えています。
彼らは、実際は弱いだけなのです。

彼らは負けることを恐れるあまり、自分から進んで屈服しているのです。
ためしに彼らに権力を与えてごらんなさい。
たちまち狂暴な専制君主と化すでしょう。

彼らは謙虚なのではありません。
自己卑下を謙虚さと取り違えているだけなのです。
また、自分を無価値と見なし、自分の長所も才能も認めない人たちがいます。
彼らを褒めると面白いですよ。
それこそ躍起になって否定しますから。
彼らも一見すると謙虚に見えますが、それはやはり本物の謙虚さではありません。
それは傲慢さの裏返しなのです。

傲慢さはしばしば、偽善、虚栄、権力志向、その他、人間のためにならない多くの煩悩を生み出します。

偽善には2つのタイプがあります。
一方は、本当は偉大なのに凡人な人間として振舞うタイプ。
もう一方は、本当は凡人なのに偉い人間として振舞うタイプ。一方は自己卑下、もう一方は虚栄です。

傲慢な人間が死んだ後にどうなるかを、ぜひとも傲慢な人に知っていただきたいものです。
霊界に帰ったらどうなるか、そして次の転生でどうなるかということを知ったら、とてもではありませんが傲慢であり続けることなど不可能です。

詳細は、フランスのアラン・カルデックが創始した<霊実在主義>(フランス・スピリチュアリズムの中心的な流れで、『霊との対話③~天国と地獄~』という本に死後の世界のことが非常に詳しく語られている・・・)にゆずりますが、傲慢な人は、死んでから、本当に過酷な経験をするのです。
だからこそ、今すぐにでも傲慢であることをやめなければなりません。

*蓮は、ウィックランド博士の本はいかがかなと思いました。上記の本を探しても見つからず、たまたま出遭ったこの博士の本。
迷える霊との対話

これは、もう何年も前になりますが、蓮がめずらしくもちゃんと読んだ本の1冊です(笑)
その中の『うぬぼれ・虚栄心・野心・利己心が禍いしているケース』が、わかりやすいんじゃないでしょうか。
目次:
除霊による精神病治療のメカニズム
潜在意識説と自己暗示説を否定するケース
地球圏の低界層と人間の磁気オーラから脱け出せないでいるスピリット
意識的・無意識的に人間に害を及ぼしているスピリット
犯罪および自殺をそそのかすスピリット
麻薬・アルコール中毒、記憶喪失症の原因となっているスピリット
慢性病の原因となっているスピリット
孤児のまま他界したスピリット
物欲のみで霊的なものに関心を示さなかったスピリット
うぬぼれ・虚栄心・野心・利己心が禍いしているケース
地上時代の信仰から抜け出せずにいるスピリット〔ほか〕


今、仮にあなたが誰かを助けたとします。
でも、その人はあなたに感謝しているようには見えません。
あなたには、ありがとうの〝あ〟の字も言わないくせに、みんなに向かって、自分の力でその苦境を脱したのだ、そして見事に人生を立て直したのだ、と言いふらしています。

さあ、あなたの反応はどうでしょうか?
失望しましたか?
あなたのおかげです、と言ってもらいたかったですか?
でも、感謝されたいと思うのも、ある意味では傲慢さの現れなのです。

ここまで読んできてあなたは自分がどれほど傲慢であるかに気付き、たぶんものすごく驚いたことでしょう。

でも、私の目的は、単にあなたを驚かせるだけでなく、あなたにもっと<意識的>になっていただくことなのです。

もし、自分が傲慢な人間だと気がついたとすれば、あなたは素晴らしいチャンスを手にしたことになります。
なぜなら、あなたが人を愛することができなかったのは傲慢だったからだ、という事実に気付くことができるかもしれないからです。

人間というのは、心が固くなると、肉体的に様々な<硬化症>に見舞われます。
現在、ますます多くの人がこの硬化症にかかるようになっています。
心が固くなるのは、傲慢だからなのです。

こうした人たちは、ハートを開いて人を愛する、ということを学ぶ必要があると思います。
自分自身に対して、また他者に対して、もっと優しくなっていただきたいのです。

<精神体>は、自分や他者を低めるためではなく、高めるためにこそ使うべきなのです。
正しいか正しくないか、ということばかりを気にするのではなくて、単純に、誠実に、素直に生きてみてください。
その結果、得られる幸福の素晴らしさにたぶんあなたは驚くことになるでしょう。

あなたと誰かがいまだに目に見えないロープで結びつけられていることに気付いていながら、それを切るのをためらっているとしたら、それはあなたが傲慢だからです。

許しを乞い、相手に愛の行為を施すというのは、決して勝ち負けの問題ではないのです。
ロープで結びつけられている者同士は、お互いに完全な存在であり、それぞれ、自分にできる最大級のことをしたのです。
ただ、愛が、うまく表現されなかっただけなのです。

前に進むためには、当事者のいずれかが心を開き、傲慢さを手放さなければなりません。
それこそが、わたしたちが他者に対してなしうる最高の善なのです。

頭で考えて話をする、というのは傲慢な人間のすることです。
こちらが頭で考えて話せば、相手も必ず頭で考えて答えを返します。
ハートからの反応は決して期待できません。

すべては、結局、愛があるかどうかということに行き着くのです。
愛のこもった行為は、すべてを良い方向に変化させ、必ず問題を解決します。
愛には素晴らしい癒しのパワーがあるからです。
愛は、<物質体>、<精神体>、<感情体>、<霊体>のすべてを癒します。

傲慢さの背後には必ず恐れが潜んでいます。
愛されないのではないかという恐れ、見捨てられるのではないかという恐れ、裁かれるのではないかという恐れ、批判されるのではないかという恐れ、何かを、または誰かを失うのではないかという恐れ、そうした様々な恐れが原因となって私たちは傲慢に振舞うのです。

傲慢な人の相手をすることになった場合、その人のそうした振る舞いの原因になっている恐れや苦しみをすべて理解してあげるようにしましょう。
もしかすると、その人は、あなたを強引に変えようとするかもしれません。
でも、そうした表面的な態度に惑わされないでください。
その人は、本当は、たぶんあなたよりずっと恐がっているのです。
頭を使って同じような調子で返事をしないようにしましょう。
相手の苦しみが分かれば、そのハートに優しく接することが可能となります。