愛と毒とたまに平和

詩にして吐き出します

発達障害

なんで、発達障害があるのか考えてみた

 

"障害"と定義しないといけないほど

 

他人に迷惑をかける存在だからか

 

 

人と違う

 

それを治さず奔放に生きる

 

それは、枠組みの中で生きてる人にとって

 

毒でしかない

 

 

ふつう、我慢する

 

他人に迷惑をかけないように

 

お互いに気を使うことで

 

社会の平和は維持されている

 

気を使わない、空気を読めない

 

一般の人が当たり前だと思ってることを

守らない

 

いわゆる、常識がない

 

それは、組織や人との関係性の中では毒でしかない

 

 

とくに日本は和の文化だから

 

気遣いができて当たり前だ

 

そういうのが閉塞感に繋がったり、発達障害なくそう、個性だなんて動きはあるけど、

 

でも、それでも発達障害がなくならないのは

 

やっぱり、迷惑な存在だからだ

 

 

マイノリティーの生きづらさなのか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、歩み寄ることができるだろうか

 

私のせいじゃないのに

私は悪くないのに

 

その気持ちと折り合えるだろうか

 

 

ふつうにできるはずのことができないだけで、

理解されず

生きづらさを抱え

それでも、戦い

ボロボロになり

虐められ、虐げられ

孤独と死を見つめつつ

行き場のない怒りを自分に向け

身体まで壊し

息が吸えず

必死にしがみついてきた自分を

 

 

 

優しく癒せるだろうか

 

 

 

そのうえで、他者に歩み寄る選択ができるだろうか

 

 

自分にも、他人にも優しくなれる世界を創る

 

 

これは、やっぱり本心で、願いで

 

 

私は、一年まえは無理だったけれど

今なら、世間へ、人へ、社会へ、歩み寄りができるかもしれない

 

 

 

 

強く生きたい