愛と毒とたまに平和

詩にして吐き出します

ふつう

私は自分がふつうだと思って生きてきたし、ふつうに生きれる自負があった

 

でも、親はふつうじゃないと言う

頼むからふつうになってと懇願される

ふつうじゃないと殴られる

友達からも変わってるねとか言われる

 

それでも私はふつうだと思ってきた

ふつうという範囲から出ないように周りをキョロキョロしながら、社会生活を送ってきた

 

いわゆる、キョロ充

それこそ、幼稚園の頃から

 

そうしないと、ふつうじゃなくなって他人に迷惑をかけてしまう自分がいるから

 

それでも、親の支配のもとで生活をすればふつうに、なれると思っていたし、たくさん傷ついたけど、家ではふつうのヨロイを脱いで過ごせていたし、人様に迷惑をかけなければいい、それが安定であり幸せだと思っていた

 

それに違和感を覚えたのはいつからだろう

 

たぶん、大学入ってから

なんで、ここ(大学)にいるんだろう

という、漠然とした不安感に殺されそうになった

 

いやもしかしたら、ずっとあったのかもしれない

 

自分の存在があることへの不安感

 

そこから、いろいろあって、自分の人生は自分で切り拓く大切さを知った

 

その開放感は最高だった

けど、同時にクズになった

 

ふつうのことができないから

やりたくないからと

諦め、責任もとらないクズに

 

やりたいことをやり、すぐに諦め、食い散らかすように生きてきたこの5年間

 

無駄とは思わない

けど、もう先に進まなければいけないと思う

 

ふつうに戻るか

それとも突き抜けるか

 

発達障害者として、一般企業への就職を狙うのはありだと思う

もしくは手帳をとらないまま、独学メインで、ふつうを目指し、就職するか

 

できると思う。いまなら

苦しまないで、ふつうになる努力が

 

でも、ふつうに生きたくない自分がいることも事実だ

 

ありのままの自分で生きるって考えたとき、発達障害者として、一般企業への就職をしたいとはどうしても思えない自分がいる

 

なんでなんだろう

それが一番早く、立派な自立だってわかってるのに、行動を起こしたくない

 

甘いかもしれないけど

いろんな仕事をして、適性を見極めたい

で、自分がどういうところが苦手で、どういうことに気をつければいいのか、しっかり把握して、いきていきたい

 

責任をもった突き抜け方をしたい

 

人様に迷惑をかけないように

矯正する必要はあるだろうけれど

やっぱりありのままで、生きていきたい

 

生きるってアートだよなぁ